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最高裁判所第三小法廷 昭和60年(オ)989号 判決

上告人

後藤五郎

右訴訟代理人弁護士

高橋耕

鈴木宏一

被上告人

日本電信電話株式会社

右代表者代表取締役

真藤恒

右指定代理人

菊池信男

森脇勝

飯村敏明

中本尚

淺野正樹

三輪佳久

金子政雄

石島幸男

長南光明

主文

一  原判決中戒告処分無効確認請求、賃金請求及び附加金請求に係る部分を破棄し、右部分につき被上告人の控訴を棄却する。

二  原判決中弁護士費用についての損害賠償請求に係る部分を破棄し、右部分につき本件を仙台高等裁判所秋田支部に差し戻す。

三  第一項の部分に関する控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人高橋耕、同鈴木宏一の上告理由及び上告人の上告理由について

一原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  上告人は、被上告人の横手統制電話中継所に工事係員として勤務していたが、昭和五三年五月一七日に、同月一九日(金曜)、二〇日(土曜)の両日につき年次休暇の時季指定をした。

2  右中継所の職員数は所長以下一九名であり、工事係員一〇名のうち五名については、日勤、宿直、宿明の各勤務を五日間のうちに繰り返す五輪番交替勤務制をとつていて、上告人は、当時、この勤務体制下に組み入れられていた。

3  右の勤務体制下においては、労使間の協議に基づいて、宿直、宿明、土曜日の午後、日曜日、祝祭日の勤務には最低配置人員である一名を配置するものと定められており、右五月二〇日の午後は、あらかじめ定められていた勤務割において上告人一人が勤務することになつていたが、その時に予定されていた職務は、もつぱら特殊技能を要しない各種通信機器の監視等に限られていた。

4  右中継所においては、従前、右勤務体制下の最低配置人員配置時であつても、勤務予定者の年次休暇取得についてできるだけの便宜を図つてきた。

5  所長は、当時の成田空港反対闘争の動向、上告人の日ごろの言動等から、上告人が成田空港の再開港当日である五月二〇日に予定されていた開港反対現地集会に参加するため、年次休暇の時季指定をしたものと推測し、東北電気通信局から服務規律の厳正化の指示が出されていた折から、代替勤務者を確保すれば上告人に年次休暇を取得させることはできるものの、右のような情勢下においてそうまでして上告人に年次休暇を取得させるのは相当でないと判断して、上告人の休暇取得によつて右同日の午後は要員無配置状態となり、事業運営上支障を生ずることを理由に、右同日一日につき時季変更権を行使した。

6  上告人は、当日は、開港反対現地集会に参加するつもりでいたが、実父が身体の不調を訴えたため、結局は成田行きを取り止めて実家の農作業を手伝うこととして、出勤しなかつた。

7  被上告人は、右欠勤を理由に、上告人を本件戒告処分にし、同年七月分の賃金から五月二〇日一日分五六〇七円を差し引いた。

二原審は、職員の年次休暇取得により要員無配置状態を生ずる場合に、被上告人が勤務割を変更するなどして代替勤務者を確保すべき義務を負うということはできないものの、代替勤務者確保の措置をとることが適当でない特別の事情がある場合を除いて、年次休暇の時季指定の日が最低配置人員配置時であることから直ちに事業の正常な運営を妨げるものとして時季変更権を行使することは、権利の濫用として許されないとしたうえで、本件の場合においては、服務規律の厳正化の指示が出され、しかも五月二〇日に予定された成田空港再開港を控えての緊迫した情勢下において、所長が、上告人の年次休暇取得の目的が開港反対現地集会参加にあると推測されるのに、安易に勤務割を変更するなどして年次休暇を取得させるのは適当でないとの判断のもとに、代替勤務者確保の措置をとらなかたつたのもやむをえないものであつて、右にいう特別の事情のある場合に当たるということができ、上告人の休暇取得によつて要員無配置状態が生ずるとしてされた所長の時季変更権の行使は適法である、と判断した。

三しかし、原審の右判断は、是認することができない。その理由は以下のとおりである。

年次有給休暇の権利(以下、「年次休暇権」という。)は、労働基準法(以下「労基法」という。)三九条一、二項の要件の充足により法律上当然に生じ、労働者がその有する年次休暇の日数の範囲内で始期と終期を特定して休暇の時季指定をしたときは、使用者が適法な時季変更権を行使しない限り、右の指定によつて、年次休暇が成立して当該労働日における就労義務が消滅するのであつて、そこには、使用者の年次休暇の承認なるものを観念する余地はない(最高裁昭和四一年(オ)第八四八号同四八年三月二日第二小法廷判決・民集二七巻二号一九一頁、同昭和四一年(オ)第一四二〇号同四八年三月二日第二小法廷判決・民集二七巻二号二一〇頁参照)。この意味において、労働者の年次休暇の時季指定に対応する使用者の義務の内容は、労働者がその権利としての休暇を享受することを妨げてはならないという不作為を基本とするものにほかならないのではあるが、そうであるからといつて、労働者の年次休暇の時季指定に対して使用者がなんら配慮をすることを要しないということにはならず、年次休暇権は労基法が労働者に特に認めた権利であり、その実効を確保するために附加金及び刑事罰の制度が設けられていること(同法一一四条、一一九条一号)、及び休暇の時季の選択権が第一次的に労働者に与えられていることにかんがみると、同法の趣旨は、使用者に対し、できる限り労働者が指定した時季に休暇を取ることができるように、状況に応じた配慮をすることを要請しているものとみることができ、そのような配慮をせずに時季変更権を行使することは、右法の趣旨に反するものといわなければならない。そして、勤務割を定めあるいは変更するについての使用者の権限といえども、労基法に基づく年次休暇権の行使の前には、結果として制約を受けることになる場合があるのは当然のことであつて、勤務割によつてあらかじめ定められていた勤務予定日につき休暇の時季指定がされた場合であつてもなお、使用者が休暇を取ることができるように状況に応じた配慮をすることが要請されるという点においては、異なるところはなく、そのために必要とされる代替勤務者の確保、勤務割の変更が可能な状況にあるにもかかわらず、その配慮をしなかつたとするならば、そのことは、時季変更権行使の要件の存否の判断に当たつて考慮されなければならない。

すなわち、労基法三九条三項ただし書にいう「事業の正常な運営を妨げる場合」か否かの判断に当たつて、代替勤務者確保の難易は、判断の一要素となるというべきであるが、勤務割による勤務体制がとられている事業場においても、使用者としての通常の配慮をすれば、代替勤務者を確保して勤務割を変更することが客観的に可能であると認められるにもかかわらず、使用者がそのための配慮をしなかつた結果、代替勤務者が配置されなかつたときは、必要配置人員を欠くことをもつて事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということはできないと解するのが相当である。そして、年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであつて、それをどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由であるというべきであるから(前記各最高裁判決参照)、代替勤務者を確保して勤務割を変更することが可能な状況にあるにもかかわらず、休暇の利用目的のいかんによつてそのための配慮をせずに時季変更権を行使するということは、利用目的を考慮して年次休暇を与えないというに等しく、許されないものであり、右時季変更権の行使は、結局、事業の正常な運営を妨げる場合に当たらないものとして、無効といわなければならない。

本件についてこれをみるに、前記事実関係によれば、前記中継所においては勤務割による勤務予定日の年次休暇取得についてもできるだけの便宜を図つてきており、上告人が年次休暇の時季指定をした日についても代替勤務者を確保することが可能な状況にあり、その時に予定されていた職務は特殊技能を要しないものに限られていたにもかかわらず、所長は、上告人の休暇の利用目的が成田空港開港反対現地集会に参加することにあるものと推測し、そのために代替勤務者を確保してまで上告人に年次休暇を取得させるのは相当でないと判断してそのための配慮をせず、要員無配置状態が生ずることになるとして時季変更権を行使したというのであるから、それが事業の正常な運営を妨げる場合に当たらないことは明らかであり、右時季変更権の行使は無効といわなければならない。また、上告人の年次休暇の時季指定が権利濫用とはいえないことも明らかである。

四そうすると、原審が、被上告人の時季変更権の行使は適法であり、上告人の時季指定日に年次休暇は成立しなかつたとしたのは、法令の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、原審の適法に確定した事実関係及び右に説示したところによれば、上告人の戒告処分無効確認請求、賃金請求及び附加金請求については、これを認容すべきことが明らかであるから、これと同旨の第一審判決は正当であり、したがつて、右部分につき被上告人の控訴は棄却すべきであり、弁護士費用に係る損害賠償請求については、更に審理をさせる必要があるから、右部分につき本件を仙台高等裁判所秋田支部に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇八条、四〇七条一項、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官伊藤正己 裁判官安岡滿彦 裁判官長島敦)

上告代理人高橋耕、同鈴木宏一の上告理由

原判決は労働基準法三九条の解釈適用を誤りかつ最高裁判所昭和四一年(オ)第八四八号同四八年三月二日第二小法廷判決、同昭和四一年(オ)第一四二〇号同四八年三月二日第二小法廷判決、同昭和五一年(行ツ)第二八号同五三年一二月八日第二小法廷判決に違反する。

一、原判決の要旨

原判決は

(一) 公社は国民の日常生活上一刻もゆるがせにできない電気通信役務をその事業内容とし、横手統話中はその現場部門として二四時間勤務体制を敷いていることは前記のとおりであつて、土曜日の午後のような最低配置人員配置時に年休時季指定がなされれば、右の時間帯は無配置状態となるから、それだけで事業の正常な運営に支障を生ずるものということができる。

(二) 被控訴人は、職員の年休取得により無配置状態を生ずる場合には、公社側としては勤務割を変更するなどして代替者を確保すべき義務がある旨主張するが、公社側にそのような義務があるものと解すべき理由はない。

(三) 横手統話中における最低配置人員配置時の予定業務は平常勤務時とは異なり定期の試験点検や諸設備の建設等の作業は実施せず、専ら特殊技能を要しない各種通信機器の監視や障害修理等の保守業務に限られていることが認められ、横手統話中では本件以前において最低配置人員配置時でも交替勤務の年休取得についてできるだけの便宜を図つていたことは前記のとおりであるから、右の作業内容や年休取得の実情に照らせば、代替勤務者を確保することによつて欠務状態を解消することが適当でない特別の事情がある場合を除いて、年休指定の時季が最低配置人員配置時であることから直ちに事業の正常な運営に支障を生ずるものとして時季変更権を行使することは権利の濫用として許されないものと解するのが相当である。

(四) 本件の場合においては、当時成田空港の建設、開港に反対する一連のいわゆる成田闘争の過程で違法行為を犯した者が多数逮捕され、その中に公社の職員が含まれていたため、国民から公社職員の労務管理や服務規律の在り方につき激しい非難が加えられたことから、公社副総裁名義をもつて各電気通信局長に宛て職員の労務管理に留意し、服務規律の厳正化を図るようとの指示がなされ、東北電気通信局管内でも同局長を通じて各現場の責任者に右の趣旨が伝えられ、しかも五月二〇日に予定される成田空港再開港日をひかえて過激派らによる公社施設の破壊活動に備えて特別災害対策がとられるという緊迫した情勢下にあつた。

右の時期に被控訴人から出された年休時季指定に対し、塚本所長は格別の理由もないのに安易に勤務割を変更するなどの方法により被控訴人の年休取得によつて生ずる欠務状態を解消してまで被控訴人に年休取得をさせることは右の指示に副わないし、まして被控訴人の年休取得の目的が右指定の直接の契機となつた成田闘争に関連する集会参加にあるからには、なおさら適当ではないとの判断の下に、勤務割を変更するなどの方法で代替勤務者確保の措置をとらなかつたのもやむを得ないものがあり、従つて本件は右にいう特別の事情のある場合ということができる。

という。

しかし、右原判決の判示は以下の通り法解釈を誤り、最高裁判所判例に違反している。

二、原判決の法解釈の誤りの内容

(一) 最低人員配置時に年休の時季指定があれば、労基法三九条三項但書に該当するとの法解釈の誤り

労働基準法三九条三項のいう「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断は当該労働者の所属する事業所を基準として(最高裁判所昭和四一年(オ)第一四二〇号同四八年三月二日第二小法廷判決)

「事業の規模、内容、労働者の担当する作業の内容、性質、繁閑、代替勤務者配置の難易労働慣行等諸般の事情を考慮して判断すべきものと解される。これは、要するに、年休請求者の担務を、その内容、性質等の観点から、事業場全体の事業と関連付けて比較するなかで、その位置、役割、重要性を把握し、評価如何によつては、右請求者が年休を取得することによつて生ずる欠務状態が直ちに事業の正常な運営を妨げることにはならない場合があることを意味する。それとともに、右担務の重要性等からみて、その欠務が唯それだけで事業の正常な運営を妨げるおそれが強いと判断される場合であつても、右欠務が代替勤務者によつて容易に解消される蓋然性が高いというような他の事情が存する場合には、結局事業の正常な運営を妨げる場合には該当しないと結論すべきことを意味するものである。」(本件第一審判決)と解される。

右第一審判決の一般的判断基準はもはや異論のないものであり、たとえば最高裁判所昭和四一年(オ)第八四八号同四八年三月二日第二小法廷判決の原審である仙台高等裁判所昭和四〇年(ネ)第七六号同四一年五月一八日第二民事部判決(高等裁判所民事判例集一九巻三〇号二七〇頁)は、「年次有給休暇の制度が法によつて保障されている以上労働者の誰かが有給休暇をとることがあるということは事業を運営する上に本来予定されているべきであることを考慮に入れながら、白石営林署殊に被控訴人の所属していた経営課の業務、人員、被控訴人の配置、経験、熟練の度合、担当業務の内容、作業の繁閑、代行者による作業の能否、時期を同じくして有給休暇を請求した者の有無、人数等諸般の事情を総合する」と判示している。また最高裁判所昭和三五年(オ)第五五八号同五七年三月一八日第一小法廷判決の原審である大阪高等裁判所昭和五一年(ネ)第六五四号同五三年一月三一日民事第一部判決(労民集二九巻一号一一頁)も本件第一審判決と同旨の基準を判示しているが、いずれも「代行者の配置の難易」又はそれと同趣旨の項目が掲げられている(青森地方裁判所昭和三五年(ワ)第三九九号昭和五八年三月八日判決労働法律旬報第一〇七二号四三頁も同様)。

ここに原審の法解釈の第一の誤りが明らかである。原審は理由二、10において前記の通り最低配置人員配置時に年休時季指定がなされれば、それだけで事業の正常な運営に支障を生ずるというが、最低配置人員が欠ければ、直ちに労基法三九条三項のいう「事業の正常な運営を妨げる」ことになるという解釈は前掲の数多くの裁判例からも誤つているのである。前掲の仙台高裁昭和四一年判決のいうように年次有給休暇の制度が法によつて保障されている以上、誰かが有給休暇をとることがあるということは事業を運営する上に本来予定されているのであり、そのことは最低人員配置時であつても同様である。労基法三九条三項に該当するか否かは単に、年休の時季指定によつて最低配置人員が欠けることだけでは足らず、代行者の配置が困難であるという事情が加わつて、はじめて問題となるのである。

原審の法解釈は、本件上告人のような輪番勤務者であつて最低人員配置時に勤務する機会が極めて多い労働者を年休の時季指定について不当に差別扱いするもので許されない。

(二) 原審は年休の使用目的を理由に時季変更権の行使することを認めたことになり最高裁判決に違反する。

原審は、代替勤務者を確保することによつて欠務状態を解消することが適当でない特別の事情がある場合を除いて、年休指定の時季が最低配置人員配置時であることから直ちに事業の正常な運営に支障を生ずるものとして時季変更権を行使することは権利の濫用として許されないとし、本件では特別の事情があつたとする。特別事情の内容は当時いわゆる成田闘争があつて服務規律の厳正化の指示があつたこと、特別災害対策がとられていたこと、上告人が、成田闘争に関連する集会参加目的であつたことの三点である。まず、集会参加目的は、上告人もそれを明らかにして時季指定を行つたことはなく、被上告人側の推測がたまたま一致したに過ぎないものである。

また、服務規律云々の指示の存在は本来時季変更権行使の理由にはならず、「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断によつてのみ行使しうる場合があるのである。

特別災害対策は一般職員に対し、何らの指示がなされていたわけでなく、少くとも一般職員の人員配置のやりくりとは全く関連はないのであるからこれまた「事業の正常な運営を妨げる」こととなる事情ではない。

結局は、上告人の年休の使用目的(しかも推測にすぎない)が問題となつているのである。

これは、最高裁判決とは真つ向から矛盾する。

それを避けるために原審は最低人員配置時の時季指定はそれだけで事業の正常な運営に支障を生ずるという解釈をつくり出した。しかし、そこには大きな論理矛盾があることは明白である。

なぜならば、前述の通り「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断基準として「代行者の配置の難易」ということが入つており、これはとりもなおさず勤務割変更が容易に可能であるか否かという事情が、その判断の一要素となつていることを示している。そして、最高裁判所昭和四一年(オ)第一四二〇号同四八年三月二日判決の「休暇の利用目的は労働基準法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由である」との判示は、時季変更権行使の理由の内容に年休の使用目的の如何を含ませないという意味であり、従つて年休の使用目的は「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断からは排除され、その一要素である勤務割変更が容易であるか否かの判断からも排除されるのである。従つてそれは純粋に事業の正常な運営という観点から判断されるのである。

そして、第一審判決は、代替勤務にあたり得る職員は所長、巡回保全長はもちろん、共通事務担当職員、宿直宿明勤務者、当日の短日日勤勤務者三名を除いても一〇名はいたことを認定しており、原審もこの点については否定していない。すなわち、代替勤務者の確保は容易だつたのであり、事業の正常な運営に支障を生じない状態だつたのである。

(三) 勤務割変更が可能だという客観的事情があれば、時季変更権の行使は違法・無効である

勤務割変更命令は使用者が発するものであるが、それは使用者の自由裁量に委ねられるものではない。例えば「代替勤務者を容易に確保し得たであろう客観的事情の存する本件のような場合にあつては塚本所長において代替勤務者を探し出したうえで勤務割の変更を命じ、横手統話中における事業上の支障の解消に務めるべきであつた」(第一審判決)との解釈が正当である。

右論点については又、以下のように整理することもできる。年休の時季指定があり、勤務割変更が可能な客観的事情があれば、その時季指定に対し時季変更権を行使しても、権利の濫用として無効であり、すなわち、本件では上告人が時季指定を行つた時点で代替勤務者になりうる職員は少くも一〇名はおり、勤務割変更は容易であつたからそもそも代替勤務者を一切捜すことなく行つた時季変更権の行使は無効なのである。年休の使用目的によつて勤務割変更を命じたり、命じなかつたりしても年休自体は有効に成立していると解される。このような場合、勤務割変更を命じず、その結果、最低配置人員を欠くことを理由に時季変更権を行使したところで、それは自ら使用者においてつくり出した事態にすぎず、右権利の行使が濫用で無効なものであることにかわりはない。

以上の通り、原審は年休の使用目的によつて時季変更権を行使することを認めており、最高裁判所判決に違反し、労働基準法三九条の解釈を誤つたものである。

三、年休の使用目的は労基法の関知しないところである

結局のところ、原審は、年休を利用して労働者が、成田空港に反対する集会に参加すれば、当時は公共企業体たる被上告人が国民・公共に対する責務を懈怠したと問責されるので、それを防止するための時季変更権の行使は適法であると判示していることになる。

上告人が当初本件年休時季指定をして参加しようとしていたのは三里塚芝山連合空港反対同盟が主催して三里塚第一公園において行なわれた成田空港反対集会である。いうまでもなく、千葉県公安委員会の許可を受けた合法的な集会である。

右集会に参加することはなんら被上告人の信用を失墜させるものではなく、時季変更権行使の理由とはならない。原審は上告人が、年休を利用して違法行為を行つたり、巻き込まれたりすると、公共企業体の信用失墜行為となるので、時季変更権を行使できるのだと言外で主張したいのではないか。

しかし、年休を利用して違法行為を行い、又はそれに関与することを理由とする時期変更権の行使が許されないことは最高裁判所昭和四八年三月二日の二判決によつて決着のつけられた問題である。右控訴審判決である仙台高等裁判所昭和四〇年(ネ)第七六号同四一年五月一八日第二民事部判決は「控訴人は被控訴人が本件有給休暇を請求した真の目的は違法な大衆交渉に参加し、この斗争を支援することにあつたと主張するけれども、譬え、そうだとしてもそれは労基法の定める有給休暇請求権の行使とは次元を異にする休暇の使用目的という別異の事項について被控訴人がその責任で決定したまでのものというべく有給休暇請求権の行使としてはなお依然として法によつて与えられた正当な権利行使の範囲内にあると認むべきものであるから、その行為が労基法以外の分野において懲戒若くは刑罰等の対象として問擬される場合のあることは格別、これをもつて信義則に反するとか、有給休暇請求権の行使として本来認められている範囲を逸脱したものであるとか、権利の濫用であるというのは当たらない」と判示し、前記最高裁判所判決の昭和四一年(オ)第一四二〇号事件では「年次有給休暇における休暇の利用目的は労働基準法の関知しないところであり」と明確に判示されたのである。なお、可部恒雄裁判官は右判例解説において「この点の判旨につき『殺人・強盗・窃盗など』の極端な例を引いてこのように明白に違法不当な目的に年休を利用する場合でも、最高裁は『あくまで労働者の個人的責任として解決すればよく使用者はそういう不当な行為に使われた休暇期間にも賃金を支払う義務を負うべきだとするのであろうか』とするものがある。評言自体、極端というべきであるがかかる言説に対しては判旨が『年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであ』るとしたことを指摘すれば足りる」(最高裁判所判例解説民事篇昭和四八年度五二九頁)としている。

右最高裁判所の判旨は下級審においても徹底し、札幌地方裁判所昭和四六年(行ウ)第一二号同五〇年一一月二六日判決(判例時報八〇一号三頁)、徳島地方裁判所昭和四六年(行ウ)第九号同五〇年三月一八日判決(判例時報七七九号一一三頁)その控訴審たる高松高等裁判所昭和五〇年(行コ)第三号、第七号同五〇年一二月二五日判決(判例時報八〇九号九四頁)、福岡高等裁判所宮崎支部昭和五〇年(ネ)第九四号同五三年一二月二〇日判決(判例時報九二四号一二六頁)、また、本件でも資料として第一審、原審に提出済の大阪地方裁判所昭和五三年(ワ)第五八四三号同五七年一〇月二七日判決その控訴審たる大阪高等裁判所昭和五七年(ネ)第二一一二号同五八年九月二八日判決はいずれも使用者側の権利濫用の主張を排斥した。右高松高裁判決の上告審判決たる最高裁判所昭和五一年(行ツ)第二八号同五三年一二月八日第二小法廷判決(判例時報九二四号一二三頁)は、昭和四八年三月二日の二判決を維持して上告を棄却した。

右最高裁判所判決は、使用者側が最高裁判所昭和四三年(あ)第二七八号同四八年四月二五日大法廷判決(いわゆる全農林事件判決)、同昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決(いわゆる猿払事件判決)との関係で最高裁判所昭和四八年三月二日の二判決は変更さるべきものであるとの主張を排斥したものである。

前掲福岡高裁宮崎支部の判決は現実に労働者が、他の事業場における争議行為に参加することにより地方公務員として懲戒処分を受けた事実を認定した上で年休を認めており、年休の使用目的はまさしく労基法の関知しないところであるとの最高裁判所の判旨はゆるぎのないものとなつている。

以上の通り、原判決が法解釈を誤り、最高裁判所判決に違反したものであることは明らかである。

上告人の陳述書と題する書面記載の上告理由

第一、はじめに

一、昭和六〇年六月一七日の仙台高等裁判所秋田支部(以降仙台高裁秋田支部と称す)昭和五八年(ネ)第七七号の判決は、原審秋田地方裁判所(以降原審と称す)昭和五三年(ワ)第四四〇号の判決をくつがえしました。

二、原審をくつがえすにあたつて、控訴人日本電信電話公社(以降控訴人または公社と称す)の人証の申し出すら却下をし、何ら新しい事実関係の調査もないままに、控訴人側主張のみを採用するという全く理にかなわない判決でありました。

三、判決の理由に於いても、どこからその理由づけがなされるのか全く不明瞭であり納得しえないものでありました。

四、同時に、法律判断を逸脱した、全く予断と推測に満ちた判決でありました。

五、以上のような仙台高裁秋田支部の法の番人にあるまじき判決に対し、新たに公正な判断を仰ぎたく上告する次第です。

第二、控訴人の附加・補充に対する反論

一、判決文「事実」第二の一に於いて「例えば早勤勤務(午前七時から午後一時まで)と日勤勤務との間の勤務割変更を命ずる場合には職員の権利ないし利益にさしたる影響を与えないが、週休者に代替勤務を命じ、しかもそれが土曜日の午後にまたがる勤務であり、あるいは休日の勤務である場合には職員の権利ないし利益に多大な影響を与えるおそれがある」とし、さらに「一般的に、週休者に代替勤務を命じるほかないような場合は、職員の担務者などによる代替者の確保の場合と異り、代替者の確保が困難な場合に該当する」旨主張するが、事実は原審以来相方で提出している勤務の実体の証書で明らかなように、互いの代替によつて権利ないし利益を分かちあつているのであり、そうしなければ、輪番服務者にのみ、より権利ないし利益への多大な影響を与えることを互いが知つているからです。

二、また同主張は「週休者の代替勤務」をことさら主張したいようですが、ちなみに本件に於いて五月二〇日土曜日午前中は、被控訴人を除いても三名、所長を含めると四名が通常の勤務にあつたことになり、土曜日午後の代替者はほとんどの場合午前の勤務者が行つていたのが実態であり、控訴人の主張する「早勤勤務から日勤勤務」より、労働時間的にみても権利ないし利益によりさしたる影響を与えない状況にあつたと言えます。

三、同項に「土曜日の午後や休日の代替勤務がそれを命じられた職員の権利ないし利益を著しく損うため、それを積極的に希望する者がなく、従つて本来時季変更権を行使しうる場合であつても、塚本所長は年休時季指定者の意向を尊重する余り、管理監督業務を担当する者に代替勤務を命じて欠務を補充していた」とし「同所長の恩恵的所産に過ぎない」と断定しております。

代替勤務の実体については原審・仙台高裁秋田支部に於いて提出されている相方の証書によつて事実に反することが明白なのでここでは具体的に述べませんが、同文面の「積極的に希望する者がなく云々」について述べさせていただきます。

その意味するところは「積極的に(探したが)希望者がいなく、無配置状態になるので時季変更権を行使しえる」旨であると考えられますが、年休はお願い的所産ではなく、労基法に明確にされている労働者の権利であり、同法三九条三項但書「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するか否か、とりわけここでは「代替勤務者配置の難易」が問題となつており、「希望者なし=無配置状態=時季変更権行使」と短絡して考えてよいかどうかが問題です。短絡して考えるとするならば労基法も労働協約も慣行もいらないし、さらに裁量権者すら不必要なのです。それは、休みを取りたい本人が代替者を探し、いなければ本人自身が勤務をせざるを得ないからです。そうしたことのないようにと管理監督を務める裁量権者が存在しているのであつて、勤務割変更を考える余地がそこにあります。

逆に「輪番交替(または日勤)服務を希望しない」と労働者が主張したらどうするでしようか。裁量権者はおそらく「業務命令」を行使するでしよう。極端だが、そうしたことを考えれば理解しうることであるが、控訴人の主張は手前勝手に一方に片寄り短絡した論理で構成されている。

現に百歩譲つて「積極的に希望する者」がいなくも、同勤務のできる労働者は存在しているのであつて、存在していないとするなら要員が不足しているのであり、裁量権者はそこまで考える必要性のある管理監督者でなければならないと考えます。

四、さらに同項に於いて「恩恵的所産に過ぎない」と主張しておりますが、裏を返せば、最低配置人員時の勤務者は年休の時季指定をするな、もつと譲つても、なるべく自制をしろと受けとれます。これ事態がもはや輪番服務者の年休に対する差別です。

そもそも輪番服務者は日勤服務者と違い、宿直宿明・土曜日午後や休日に、一般の生活リズムとしては変則的な最低配置要員として、好むと好まざるにかかわらず労働の一つの形態として割り切らされ、業務に従わざるを得ない状況に於いて服務をさせられているのです。それを顕著に示すのが、輪番・日勤服務交替後の一〇日位の体と精神の変調であり、勤務帯への慣れを余儀なくされているのです。

輪番交替服務は当然人々が就寝している時も、余暇を楽しんでいる時も労働している訳であつて、そうした時、時には他の人々と合わせるために、あるいは家族と何かを計画した時、私的にどうしても休みたい時は、年休か勤務割変更しかないのであつて、それを「恩恵的所産に過ぎない」と断定する控訴人の姿勢・思惑はあたかも強制労働を強いて当然としかいいようのない輪番勤務者に対する暴言であります。

五、同第二の二に於いて「社会的非難を免れるためには、年休の付与を拒否することが相当かつ最善の方法」であり「労基法と言えども使用者が労働者の反社会的行為に関与したとして社会的非難を受ける場合にまで、使用者に有給休暇の付与を義務づけていると解することはできない」とする。

その前提として「年休取得によつて反社会的行為実行の高度の蓋然性」をあげているが、あくまでこれは推測にすぎず、恣意的予測である。同時にこの結論は「年休付与の拒否」を導くための「使用者の認識・判断」が全てであります。裁量権者の単なる思い込みであろうと、恣意的判断であろうと、こうしたことが成立するとしたら、年休権は無権利に等しくなるのです。

さらに「社会的非難」は政治的・社会的・歴史的に議論の生じるところであるが、一労働者が正しいとして斗い、社会的非難を受けたとして、現実にどうしたであろうか。公社法・就業規則をもつて処分をした。これは争われることであるが、現実に処分をした。本件の場合、その予防として年休が拒否されたとする。百歩譲つて、いかに予防措置といえど百パーセント・絶体という確信がそこにあつたろうか。

本件五月二〇日の場合、三里塚空港開港反対集会にすら参加をしていない。さらに昭和五三年九月一七日同反対集会に参加する意志もなかつたのに、時季変更され、本位を行使できなかつた事実すら存在する。また、同じ職場の他の労働者に昭和五三年七月一日の年休に対し時季変更を行使し、その前日「新築祝のハガキ」を強制的に見ることによつて時季変更権行使を止めた事実はどうするのだろうか。公社の推測や面子のために労働者の年休権が犠牲を強いられた事実がここに明白に存在したのである。

さらにこのことは、明らかに憲法第一九条「思想及び良心の自由」同二一条「集会・結社・表現の自由」に反する重要な問題であり、許されるものではありません。

同時に控訴人が明確に「年休の拒否が最善の方法」とする中に、本件年休時季変更権の行使は「事業の正常な運営を妨げるからではない」ことを明確にしております。しかしながら、第二の三項に於いて「右のような諸事情を総合的に考慮すれば、塚本所長が本件年休時季指定は事業の正常な運営を阻害するものと判断」と主張するが、これはどこからくるのか。おそらく「特別災害対策」を示しているものと思われるが、それに関しては一切知らなかつたものであり、事実あつたかどうかも疑問であり、「年休の拒否が最善の方法」は決定的であり、「事業の正常な運営を阻害していない」と解釈されてしかるべきであります。

第三、理由に関する疑問および反論

一、二の4「代替勤務者の確保容易でない」に関しては第二の二から四に於いて反論した通りであり、原審・控訴審の相方の証書を参照願います。

二、二の5「同日午前中の配置人員は被控訴人を含め四名」となつているが、所長を含め五名となる。

三、二の6「成田空港開港反対の現地集会に参加するというのが、その理由であつた」ことは、原審に於ける本人尋問で初めて明らかになつたことであり、時季変更権行使時はあくまで推測であり、恣意的判断であつた。

四、二の6「昭和四八年三月二日の最高裁判決以降年休時季指定にあたりその理由を開示する必要がないとの取扱いが確定していた。そこで被控訴人は本件の年休時季指定にあたつても一切その理由を明らかにしなかつた。」のであり、「特別の事情」があつたとしても開示はしなかつたものであり、しなくてもよいものであつた。

第四、時季変更権行使の適否の判示に関する反論

一、判示は「土曜日の午後のような最低配置人員配置時に年休時季指定がなされれば、右の時間帯は無配置状態となるから、それだけで事業の正常な運営に支障を生ずるものということができる」とするが、「年休時季指定=無配置状態=事業の正常な運営に支障」と短絡して考えるべきではありません。第二の三項でふれていますが、あらゆる手をうつても勤務者がその時点でいなければ、初めて無配置状態になるのであつて、無配置状態を解消するために無断欠勤ではなく、年休の時季指定をしているのです。

二、一方細川幸実証言を取り上げ「作業内容や年休取得の実情に照らせば……」とあるが、「年休取得の実情に照らせば」とはどういうことなのであろうか。法的に裁く場合に於いて、各々の職場の年休取得の実情に於いて年休の時季指定がなされ、形成されて当然であるという意味なのであろうか。労基法は、ある企業に於いては上司の判断次第で年休を付与し、あるいはせずともよいし、ある企業に於いては何があろうと勝手に年休を取つても関係ないとする基準で判断しているのであろうか。

三、そして「権利の濫用として許されないものと解するのが相当である」と結んでいるが、この結論を導くに於いて、余りにもその前提は厳し過ぎるものではないでしようか。

四、さらに「塚本所長は格別の理由もないのに安易に勤務割を変更するなどの方法により被控訴人の年休取得によつて生ずる欠務状態を解消してまで被控訴人に年休取得させることは右の指示に副わない」と判示するが、判決文「理由」一の6項に於いて最高裁判例をあげ「被控訴人は本件の年休時季指定にあたつても一切その理由を明らかにしなかつた」と事実認定しておきながら、いかにして塚本所長は、「格別の理由」をみいだせばよかつたのでしようか。

さらに、原審に於いて塚本所長が「理由は言わなくてもよいと」している事実を見落したのであろうか。

五、次に「ましてや被控訴人の年休取得の目的が……(略)……成田闘争に関連する集会参加にあるからには、なおさら適当ではないとの判断の下に、勤務割を変更するなどの方法で代替勤務者確保の措置をとらなかつたのもやむを得ないもの」と判示するが、推測の域を一歩もでず、しかも公安委員会で認められてすらいることに何一つふれず、単に「集会参加にあるからには」とするこの判示は恣意的推測による判断を公然と認めるとともに、憲法に違反するものである。

六、判示する「特別の事情」と一体何なのであろうか。

被控訴人に対して塚本所長は何を説明したであろうか。「集会に行かないんでよ」「土曜日だから」「無断欠勤になるよ」で、果して業務上支障あることを理解するでしようか。

七、また判示は「代替勤務者確保の措置をとらなかつたのもやむを得ないもの」とする。

原審および第二の五項に於いて述べたが、昭和五三年七月一日の越前雅志君への時季変更権行使時、やむなく前日「新築祝」のハガキをみて「やむを得ない理由」として時季変更権を取消した件で、それを判断した時「代替勤務者確保」をしていなかつたし、同年九月一七日の被控訴人に対する時も「午後はよい」と判断して半日年休を認めた時に於いても代替勤務者を探してはいなかつた。つまり、裁量権者塚本所長の判断如何によつて、代替勤務者はすぐ探せるものであることの証明でもある。

しからば、本件昭和五三年五月二〇日に関してはどうであつたろうか。代替勤務者は原審で認めるように「一〇名はいた」のであり、これに短日日勤者三名を加えるとして「十三名はいた」のである。ところが塚本所長は「二名の申し出」を拒否し、代替勤務者を探そうとしなかつた。だが、同日朝塚本所長が被控訴人に電話をして「無断欠勤になる」と主張したここに於いて、判示するように「集会に参加させない」ことが目的であつたなら、前記同様の措置がとれたはずである。

しかも、前日夜証人柿崎分会長からも、父の体調の悪くなつたのを聞いていたとするし、同年九月一七日の件の話し合いに於いても、本件五月二〇日の朝「おやじさん具合悪いんだつて」と聞いた時、ただ「うん」と言つてくれればこういう事態にはならなかつたというのであるから、まさに何のための時季変更であつたのか、被控訴人本人すらその実体のわからぬまま無断欠勤扱い、懲戒処分を発令されたのであり、そうした経過をみるにつれ、代替措置そのものは塚本所長にとつてさ程の問題ではなかつたのだと判断される。だが、判示するように時季変更権の行使が「集会参加への予防」であるとした場合に於いても、塚本所長は速断できえなかつたものと思われる。

八、しかしながら判示は「五月二〇日午後職員無配置状態―事業の正常な運営に支障をきたす―時季変更権は適法」とする。まさに「使用者側の事情」によつて規制される年休を公然と認め労基法、三・二最高裁判決で明確になつた「時季指定権・形成権・年休利用の自由」を反故にし、「理由の開示・承認」という逆行をたどるものであり、一労働者として、全ての労働者に対する年休権の危機を感ぜずにはおられません。

九、さらに「五月二〇日の時季指定全体につき時季変更権行使の対象としたことは不適法とはいえないとし「被控訴人の年休取得の目的からすれば午前中だけの年休取得は無意味」を前提としているが、無意味とは控訴人の推測に於いて無意味なのであつて、被控訴人にとつて無意味ではありません。現実に田植えはだいぶ進んだし、半日の無断欠勤であるとするなら半日分の賃金カットで済んだろうし、しかも前七項九月一七日の件に於いて述べられている半日も問題にからむものとして、必要な件としてつけ加えておきます。

十、さらにこの判示に於いて重要な点を指摘していると思われるのです。この判決文に於いて執要に最低配置要員時しか述べられていませんが、ここにきて初めて「他にも勤務者が三名いるので、事業の正常な運営に支障をきたすものとは思われない」としている点です。

十一、そもそもこの訴訟は原審に於いて原告が「恣意的判断による政治処分」であると主張してきました。だが被告は、原審被告準備書面(三)一ページ「第一、はじめに」同(四)十三ページ「第(四)結語」同(五)三ページ「一、はじめに」同(五)一〇ページ「五、本件時季変更権行使の適法性」に一貫して「成田斗争に参加することを事由として時季変更権を行使したのではない・混淆してはならない」としてきた。それは証人塚本定四郎・同北村隆に於いても同様であり、一貫して「特別災害対策と業務上支障ある」ものとしてきたのである。

ところが、原審被告準備書面(八)五三ページ八行より、初めて「信用失墜せしむべき行為が予想される以上……(略)……原告の代替者を確保することは……(略)」と提出してきたのである。明らかに当初の主張との違いを明らかにしてきたのである。

十二、それは控訴審判決ですら前十項の如く判示するからである。

塚本所長は第一一回口頭弁論調書六四丁裏一一行から「人数を一人でも多く確保したい」旨証言をしておるのを考える時、いかに半日日勤帯であろうと異常時に於いて人数を確保しなければならないとするなら、被控訴人に勤務割変更もせず時季変更権まで行使して人数を確保しなければならないとするなら、一人勤務時の勤務割変更すると呼びだしの際確率が低くなるとするならと、原審塚本証言のみとらえれば、午前に於いても業務上支障あつたはずである。

十三、当初との違いを「年休権の権利の濫用」と結びつけ、控訴審に於いても主張している。そして控訴審判決はそれのみをとらえて判断を下しているとしか考えられません。

この判決は、原審来の全ての証書に目を通してくれたものであろうか。何のための証人の証言であつたのであろうか。明らかに法的にも逸脱した、控訴人に追従した結果のものであるとしかいいようのない判決であります。

第九、まとめ

一、私はこれまで、原審を破棄した仙台高裁秋田支部の判決を中心として、事実と疑問・反論を述べてまいりましたが、以上のことから仙台高裁秋田支部の判決に服することはできません。

二、つきましては、貴最高裁の良識ある判断を改めて仰ぎたく上告致しました。仙台高裁秋田支部の判決を破棄し三・二最高裁判例の原点にたつて、公明正大なる審判をお願い申し上げます。

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